論理的読解とは何か
私は常々、高校生が最も重視するべきものは「論理的に考える力」なのではないかと思っています。これは何も現代文の勉強に限った話ではなく、自己形成をしていくこと全体に必要なものだと思うのです。
皆さんはどれくらい現代文を勉強していますか? 一日一問解く、なんていう人も中にはいるのかもしれませんが、受験生の大半がとかく軽視しがちで、「感覚で何とかなる」と思っている人も多いのではないでしょうか。
しかし英語の長文を読むにせよ、小論文を書くにせよ、基盤となるのは論理的な読解力や構成力なので、現代文をあまり軽んじるべきではありません。私自身、高校時代に現代文をある程度やりこんだことで、英語の長文の力も付きましたし、その後の人生における考え方の基盤も構築できたと思っています。
こういう話になると、よく「本を読めばいんでしょ?」と言われます。当然、本を読んでいるにこしたことはありませんが、現代文のために読書をする必要はありません。もっとも、ほとんど文章に触れたことがない小中学生なら話は別です。そういう子はまず文章への抵抗をなくさないといけませんから、活字慣れしてもらうための読書が必要です。しかし、大学を目指すレベルの生徒達ならば、文章そのものに抵抗があるという人はまずいないと思います。中学や高校では、一定数の読書を課されていますし、何より教科書で「こころ」のような長い文章も読まされているからです。そもそも読書は、楽しみ心を豊かにしてこそ本来の姿です。論理的な力をつけるための道具ではありません(結果としてそうなるだけです)。勉強なんてことを考えず、それぞれが自由に読めばいいのです。
では、論理的な読解力を培うには何をすればいいかというと、私は最終的には要約だと思います。そもそも現代文で問われるものは何かと言えば、「どれだけ筆者の主張を端的に理解し、そこに至る論の組み立てを理解できているか」です。要約というのは論の流れを整理し簡潔に記した上で、主張をあぶり出す行為ですから、現代文の一つの完成形と言えます。しかし、それが最初からできる生徒はほとんどいません。
そこで、最初はまず「大きく読む訓練」から始めます。だいたい、中学校時代に塾で「時間短縮のために設問読んでから本文を読め」なんて刷り込まれているものですから、多くの生徒は傍線や空欄の周りだけをつなぎ合わせるような読み方をしています。高校入試レベルの文章だとそれでも何とかなるのですが、大学入試レベルでそれが通用することはまずありません。当たり前のことですが、文章は全部読まなければ主張は見えてきません。
さらに、その際に「全体をつかむんだ」という意識を強く持つことが大切です。同意や共感を求められているわけではないのですから、隅から隅まで理解してあげることは重要ではありません。英語長文でも、一つ二つ分からない単語が出てきたからといって、ストーリーがつかめない事態にはなりませんよね。それと同じことです。
考えてもみてほしいのですが、最初から最後まで一貫してわけの分からない文章を書いていては、誰も読んでくれなくなります。文章というのは、必ずどこかで、少なくとも文章が終わるまでに、分かるように作られているはずなのです。細部を気にせず「とりあえず結論が分かればいいや」程度の感覚で読んでみてください。
そういう読み方を意識していくと、おのずと「ああ、本論始まったな」とか「ああ、ここ譲歩してるから次に強烈な意見来るな」とか、構造に目が行き始めるはずです。そうなってきたら、だいたい論理的に読めてきたと言っていいでしょう。
受験生の皆さんに言っておきたいのは、この過程を経ずに、独自理論で闇雲に問題を解いていっても、伸びることはないということです。面倒くさがらず、文章にあたる。まずはその基本にしっかりと向き合ってほしいと思います。
続きは塾長や私の授業で。
最後に、最近「これいいな」と思った参考書を紹介しておきます。
下の参考書は私も昔使って勉強していました。とても良い教材ですよ。
「池上の短文からはじめる現代文読解」/池上和樹 著 学研
「現代文読解力の開発講座」/霜栄 著 駿台文庫
木村