しんあいゼミナール

想像力を養う

塾の講師が安易にこういうことをいうのも憚られますが、生きていく上で必要な頭の良さというのは、勉強の中身とは直接的な関係がないのではないかと思います。むしろ重要なのは勉強をすることで獲得する、様々なものの考え方です。
「なぜ勉強するのか」と問われれば、私は「多角的なものの見方を身に着けるため」と答えます。多角的に物事を捉えられれば、世界はそうひどくは映りません。そして、物事を多角的に捉えられれば、それだけ世界に対しての想像力を獲得することができます。他人に対しても、物事に対しても、です。

車の運転をするようになってから、かれこれ20年近く経ちますが、最近自戒を込めて思うのは、「現代人は当たり前の想像力を失いつつあるな」ということです。私は日々かなりの距離を走る方なので、どうしても運転をしていて気になることが多々あります。(気になるというより、ストレスがたまることが多々あると言った方が正しいかもしれません……)
車を運転するということは、「自分が操る乗り物で公共の場に出る」ということです。しかもそれが、道路という公共物の横幅半分を占有したりします。その時本来意識しなければならないのは、他者の存在です。道路は自分だけのものではないのですから、当然他者がいて、他者も同じように道路の横幅半分を占有せざる得ない状況なはずなのです。
そういったことへの想像力がまるでない。ないというより、意識したことがないというか、他者の存在自体が見えないのではないかと思うのです。煽り運転に関しても、互いに他者の存在に意識がいかないからこそ起こるのではないでしょうか。

そういう折、いつも私は思います。「ああ、教育ってものすごく重要だよな」と。
前述したように、想像力は多角的なものの見方から生まれるものなので、ある程度その人の「学んだ量」と比例します。一番安易なのは学校での学びなのですが、本来そうでなくともいいはずなのです。会社で新たに学んだこと、人間関係で学んだこと、読書、そういったものからもいくらでも学びの機会はあるのですが、大人はどうしても凝り固まることが多い。自分という存在を、常にアップデートできる能力がある人はほとんどいません。やはり、凝り固まらない学生時代の学びが大切なのではないでしょうか。

教育に携わる人間の一人として、自分が教えている生徒に関しては、多様なものの考え方を育てたいと思っています。そういう教育姿勢に変えていかないと、殺伐とした世界になってしまうのではないでしょうか。


木村

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